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「水の記憶」

清冽なドラマ・・・「発言」する女性像
4月2日の「水の記憶」                  <安東 千枝穂>

 初めて見るノーヴィの現代劇は、いつもより明るめの照明で、散り敷いた落ち葉と、
並ぶ木々から、清冽な高山の空気が漂ってくるような、新鮮さに満ちていた。

 人里離れた韓国の山奥、ダムに近い湖の畔の山荘、そこに、血の繋がらないおじさんと二人で暮らすチェリンの静かで平穏な日常の笑顔からドラマは幕をあける。ソーニャやお初、ジョバンニなどで陰影の濃い悲しみをくっきりと演じてきた三浦が、ここでは、平凡で屈託のない二十歳直前の山の娘として、実にナチュラルにいきいきと生きている。その山の娘チェリンが、旅してきた男と祖父とおじさん、そして過去、ダムに沈んだ村とそこに起きた愛憎の事件、母親と父のこと、その真相を突きつけられ、「私って何?」という疑問を叩きつけるように叫ぶクライマックスを経て、ドラマは終局に向かっていく。
 この物語を、娘の視点を中心に描いているところが、実にいい。これまで歴史の中で沈黙を余儀なくされて来た幾多の女性たちー彼女の母親もまた、人知れず父親さえ知らうちにチェリンを生み、そして誰にも看取られずにこの世をあとにしたーその母親の真実を知らされた娘は、叫ぶ。その叫びは、彼女一個人を越えて、これまで歴史の中で埋められてきた女性達の声のようだ。
 百年後には・・・と未来に夢を託した「三人姉妹」や、忍耐して生き続ける事を、噛みしめるように言い続けて来たニーナやソーニャ、チェーホフのヒロインたちに繋がる百年後の現代女性が、ここにいる。前半の明るさとの対比がくっきりと描き出されて鮮明な印象がいい。ラストシーンも明るい。

 ただ、一つ残念なのは、この母親像がいま一つ明確に見えてこないこと、来訪者により意外な過去が暴きだされるという、イプセン的な、あるいは、「能」のような物語構造で、最大の鍵となる、過去の事件が、三人の口から語られるものの、どんな形で、父の前に母が立ち、どんな思いで、どんな言葉で中に入ったか、その大事な場面が、具体的に思い浮かびにくい。
 回想場面で再現されていれば、より鮮明に、三人の関係が浮かび上がってくるのではないかとも思った。
 細かく言えば、旅して来た彼が、その村の祀りについて全く知らずに釣りをしていたのか、死んだと思ったにしても、全く、その後の村のこと、娘のことも全く知らなかったのかなどの疑問もある。また、彼女に贈った「本」はどんな本だったのか(見た目は明らかに「チェホフ全集」)、それがどうにかドラマに関わってくるのかと思ったが、何もなく、娘もそこにはそれ程の関心もないように見える。翻訳についても意味がありそうで、或いは彼自身が翻訳家?とも考えたが、それも特になく。全体に意味がありそうな伏線を求め過ぎる見方のせいか?
 
 そういう細かいところをのぞけば、前半の「静」から一転してクライマックスへなだれ込む激白の急展開は、祖父と男達の熱演とあいまって、社会と人生を一場に凝縮した迫力に満ち溢れていた。いつもは、ロシアや近松、ケンジ、シェイクスピアの古典劇を演じるノーヴィの俳優たちが、韓国の現代劇作家演出家と組んで新作を生みだす、とても刺激的な舞台、そして素敵な企画であった。
 
 つい先日、両国で行われた「国際シンポジウム」といい、そしてこの後の「イワーノフ」といい、まさに新星ノーヴァの輝きと勢いを感じさせる東京ノーヴィ、これからがますます楽しみである。

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